sikyo〜京大生はこうやって勉強してた〜

大学受験対策記事や、大学生の生活について書いています。

東京医科大から見る得点調整の是非、いいこと?悪いこと?

最近のホットニュースである東京医科大の

入試における女子生徒の受験生の点数の

一律減点の問題ですが、

 

果たしてこれはそれほど避難されることでしょうか?

 

この書き方からもわかるように私はそれほど

悪いことではないと考えています。

 

誤解を招きそうなので言っておきますが、

私は女性差別を肯定するわけでも、女性を

低く見ているわけでもありません。

 

世間では、批判的な見方が多いですが、それは

公平性という観点からしかその事実を見ていない

からではないでしょうか?

 

は?入試なんだから公平性は保たれるべきに決まってるじゃないか

 

もちろん、極力公平性は保たれるべきですが、必ずしも

公平性に一番重い価値を与えなければならないという

わけではありません。

 

そもそも大学入試の目的はなんなのか?

 

簡単ですよ。大学が欲しい生徒を通して、いらない生徒を落とすことです。

 

だからこの場合で言えば、女子生徒は東京医科大にとって

相対的に「いらない」わけですよ。

 

大学、特に私立大学は独立機関であって公機関ではない。

 

世間の言うことを聞く必要もなければ、公平に物事を進める

必要もない。

 

何年もかけて入試を通して生徒を教育していくわけです。高いお金と

教授の叡智をかけて、

 

いらない生徒にそんなことするのは勿体無いわけですよ。

 

すなわち大学は合理性に基づいて行動指針を決定しているのです。

 

つまり、合理性という観点から見れば、得点調整(この事例でいうと、

女子生徒と4浪以上の男子生徒の一律減点)がもっともなものだった。

 

この合理性という観点を完璧に無視して、女子差別だ!男女平等に

すべきだ、などどという批判を投げるのはいささか滑稽である。

 

物事には多面性がある。一面だけを捉えて、ほかの側面を無視し、

すぐに結論を下すべきではない。

 

東京医科大は直接的な得点調整を行っているが、他大でも、間接的な

男女の人数調整が行われている。

 

例えば、女子生徒が選択することの多い生物などの科目を

受験科目から外したり、一般に女子生徒が苦手とする数学の

配点を高くするなど。

 

これを差別と言うならば、極論全ての配点の組み方さえも

批判する必要が出てくること理解しているのだろうか?

 

数学200点、英語100点、国語100点という配点を敷いている

大学があったとしよう。

 

この大学は明らかに数学を重視している。

じゃあ、数学のできない生徒を差別するのか!となるか?

 

大学の求める人物像に生徒が合わせるのは当たり前である。

なぜなら生徒を選ぶのは大学だからである。

 

東京医科大の例で言えば、過去の進学状況から、受験者の

わりに女子生徒の進学者数が少ないこと、合格率が低いこと

はすぐにわかる。つまり、女子生徒がお呼びでないことは

明白であろう。

 

西川史子さんも女子受験者の一律減点は当たり前だと

主張している。

理由としては、「成績が上の人から取れば女性ばっかりに

なってしまい、眼科医と皮膚科医だらけになってしまう。」と

 

力の必要な医療行為も女性にはできないとのことです。

 

医療従事者からすれば男性のできることと、女性の

できることが違うということは明らかなのです。

 

男性の役割と女性の役割を分けることは

果たして差別なんでしょうか?

 

男女で人間としての価値は同じです。でもできることは

違います。それは厳然たる事実です。

 

得点調整は男女の役割を分けるという意味で意義あることと、

考えることができます。

 

まとめ 

まあ、こうしてつらつらと書いてきたわけですが、

もちろん批判的な意見の言わんとすることは理解できますよ。

 

そういう意見が存在するのももっともです。

ですが、私のような意見が存在することも知ってほしい。

 

自分の意見だけが、世間の意見だけが唯一無二の主張だと、

考えるのではなく、多様な意見が存在するし、メリットデメリットの

大きさはその人の主観によって変化しうる。

 

この事例で言えば、私は合理性におけるメリットが、公平性

におけるデメリットよりも 大きいと判断した。それだけのことです。